This Side of COLONY (in Silence)



"COLONY" remix

drawings by Mumu Funaki
photos and words by Teshin Yun

2011










01/ コロニー #1 (End of may)



 夜が明けようとしていた。光と闇の間は白である。布団の中で、男にようやくまどろみが訪れようとしていた。その部屋には窓がひとつしかなく、カーテンはなかった。いつもその窓の方に枕を置いて寝ているその男は、布団から見上げた自分の窓が、純粋な白色に満たされるのを見てそう思った。闇と光の間、それは白である。男は布団にひとりではなかった。女と抱き合っていた。女は寝息を立てている。たばこのにおいがする寝息を聞いているうちにようやく彼にもまどろみが訪れた。ここはとてもしずか。どんな音楽もどんな言葉もありとあらゆる音がここには届かない。闇と光の間を満たした白が少しずつすり減って消えていった。あとは埃の積もった床に光がさす音だけがきこえてくるばかりであった。彼はその音に耳をすますばかりであった。おぼろげなまどろみのなかで。













02/ パフ



 やさしさについてよく考えることがある。やさしさほどおろかな美徳はないだろう。なにも持たざる者が唯一ほどこせるなにか。それがやさしさ。うんざりする。30を手前にしてわたしは急にやさしくなった。自然にやさしくなった。何故か、と自ら問う必要はない。知っているからである。いや、別に知らんが。知らんが、なんとなくわかる。ようやく自分のことがわかってきたんだろう。20何年も生きてようやく、自分がどんなものかってわかり始めたんだろう。くだらないことである。自分が何者か。そんなことはくだらないことである。くだらないやつだなあておもう。なにものでもないし、なにものにもなれなかったし、なにものにもなる予定がないなあっておもう。それはくだらないことである。


 そうしてわたしはやさしくなった。ひとに「やさしいね」って言われるとき、こころがずたずたに切り刻まれる思いがする。そう言われるときいつも自分の無能さを思い知る。しかし人にやさしくされるとうれしい。東京に出てきて知り合ったひとたちはみなやさしい。彼ら彼女らのことをわたしはおろかだとはおもわない。彼ら彼女らのやさしさからはおろかなものは感じられない。やさしくされるといつもただひたすらにうれしい。どうやら彼ら彼女らが持つやさしさはわたしが持つやさしさとは異質なもののようである。


 地平線の向こうにひとりのやさしい男が立っているのが見える。ただひとりで。その男はなにか歌をうたっているようだ。しかしわたしには、その歌がやさしい歌なのかそうでないのかの判別がつかない。そのやさしい男はあまりにも遠くに立ち、ひとりで歌をうたっているので、その声がわたしに届くことはないからである。わたしにわかることは、彼の立つ地面とわたしの立つこの地面が地続きであるということだけである。そしてその距離はとても遠く遠く離れている。わたしにわかるのはただそれだけである。














03/ ピーター



 10代のぼくに言ってあげたい。「あなたはいま鼻をたらしながらCDを試聴していますが、10何年経ったいま、あなたが撮影した写真がタワーレコードに平積みされるようなレコードの ジャケットを飾るようなことになってますよ」って。10代のぼくはよろこぶかもしれない。「しかしたぶんあなたがおもってる数倍ろくでもない人生になっちゃってますよ」って。続けて教えてあげたい、できることならば。「おつむこじらせて人生えらいことになってますよ」って。「目を覚ましてください。お願いします。お願いですから目を覚ましてもう音楽とか聴かないでください。もう小説とか映画とか、そんなのに触れるのは止めて、まっとうに生きてください。じゃないとほんとうにろくでもないことになりますよ」って。「ろくでもないことになって涙ばかり流すのはあなたですよ」って。













04/ Party



 「今夜パーティーがあるけど、着ていく服が無いんだ」ってどっかの国の気持ち悪いおっさんがかなり昔に言っていた。


 あるパーティーにある男がいた。彼はパーティーなんか必要としていない。しかし彼は、暇を見つけては夜な夜なパーティーに繰り出すのであった。社交のためではない。音楽を聴くためである。すこしでもまともな性根を持っていたなら夜な夜な出かけるごとに顔なじみが増えてその中の何人かとは仲良くなったりもするだろう。ただ彼はまともな性根を持ち合わせていなかった。性根が腐っていたのである。腐った性根に音楽が美しく響くのが彼は好きだった。そしてそれを彼は憎んでいた。それはとてもみじめな気がした。


 もう取り返しがつかないところまで来ているのがはっきりとわかった。どこかでなにかを間違えた。これは確かである。しかし彼はそれがどこなのかそしてなにを間違えたのか、とうとうわからず仕舞いだった。どこでなにを間違ったのかはわからない。しかしどこかでなにかを決定的に間違えた。これだけははっきりとわかるのだった。


 いつしかそこで鳴っている音楽すらもどうでもいいと感じられるときが近づいてきた。彼はもはやフィールドワーカーであった。まるで耳に入らない/心に届いてこない音楽を聴きにパーティーに出かけ続けた。そこで鳴っている音楽に罪はない。ただ彼が目を閉じ耳をふさぎ、心を閉ざしているだけなのであった。彼はフィールドワークを続けなければならなかった。どうしようもなくみじめな気持ちになるだけであった。みじめになりにパーティーにでかけ、願い通りみじめになり、独り家に帰った。みじめであった。あわれであった。それでも彼は絶望の荒野でフィールドワークを続けるのであった。


 わたしはしばらく彼のそのフィールドワークを眺めていた。しかしわたしはとうとう彼を馬鹿にできないままでいた。心のぶち破れたおとこがひとりでいる。にぎやかなパーティーに。ひとりで。ただの言葉遊びで「絶望」てことば簡単に選んでるとおもってるでしょ。冗談じゃないよ。













05/ ロンリネス凧



 風も何もない日のはじまりに。湖畔に彼はいた。いま、目の前に広がるものが、海かそれとも大きな湖なのかの判別はつかなかったが、海にしてはあまりにも水面が穏やかであった。波一つ立たない緑の水面、水平線の方が薄い赤に染まってきた。朝が来たのだろう。彼はそうおもった。













06/ ドントストップ



 彼は本質的に退廃的な男だった。本質的に現実世界を見つめず、いつも自分に真にふさわしい「ここではないどこか」を夢想する男であった。しかもその「ここではないどこか」は、彼が生きる現実世界とまったく地続きではなく、完全に川の向こうにあるものだった。本質的に退廃的なユートピア思想の持ち主。しかし彼はどこまでも現実的に自活ができるという能力があった。これは奇妙なことである。彼の日常は常に、水平周辺で激しく揺れ続けている大きな天秤のようなものであった。狂気と正気の狭間で、人間と非人間の境界で彼は踊り続けていた。踊り続けていたし、これからも踊り続けたいと思っている。これまでのように。


 眺めるだけにしておけばよかったものを、彼はそれを隔てる川で遊ぶことを覚えた。いつか溺れてしまうことを自覚していながらも、彼は川遊びをやめることができない。何故だかわかりますか。あなたには。それが何故だか。













07/ Do you remember?



 わたしはまた別の男をみた。その男はわたしがいままで見た誰よりも愛を乞うひとのように見えた。彼自身も愛にあふれたひとのように見えた。しかし彼のこころに愛はあふれていたが、そのはけ口が見つからないようであった。彼は10代の後半と20代のほとんど全部を愛の不可能性に挑み続けることに費やした。しかし失敗を続けた彼は、とうとう「自分は愛に挫折したのだ」と結論付けた。そして彼はおわりをはじめた。彼もまたおろかであった。彼もまたおろかなおとこであった。わたしにはそれがよくわかった。


 かれはおろかである。かれはあまりにもボロいいかだで大海に出てしまった。そして彼は自分が乗っているのがボロいいかだであることを知っていた。これが決定打である。海に出るとき、ひとは自分の舟がけっして沈まない/沈むはずがないものだと信じなければならない。どっかの飲み屋で知らんおっさんが言っとったんでほんまのことやろう。間違いないやろう。なんせどっかの飲み屋で知らんおっさんが言っとったんで。


 おわりの島に流れ着いたかれの目はだれかの目にとてもよく似ていた。とてもとても、よく。おわりの島では未来永劫動くことのない時間が流れているらしい。ぜんぶひとから聞いた話です。













08/ Fight Song (山荘と水着)



 2年前のちょうど今頃、会社の高層階からいつも東京タワーの光を眺めていた。その光は彼の心の闇にはあまりにも眩しいものだった。しかし12月があわただしく過ぎていく中、彼は飽きることなくその光を見続けるのであった。そして年が越えて2010年が来た。1月1日、彼はとうとうあのまばゆい光がどのようなものなのか、実地に見るため出かけることにした。地下鉄をいくつか乗り継いで、駅に着き、長いエスカレーターを上がった。地上に出ると既に辺りは薄暗く、彼の心とうまく馴染んだ。すぐにきょろきょろと周りを見渡したが東京タワーは見つからなかった。通りに出ることにして、左を向いたとたんのことである。強烈な光が彼のこころごと突き刺して、どこか彼方へ一直線に延びていった。それは10年後だとおもった。10年先まで照らし出す強い光。それにこころごと突き貫かれたと彼はおもった。かつて感じたことのない高揚を感じた。自然と涙が出た。


 あれから2年近くが経った12月のいま。彼はまた会社から東京タワーを眺めている。その光はあまりにおぼろげではかない。3月のあの日以降、光そのものが絶たれた。数ヶ月が経って光が再び灯ったいまも、かつてと比べるとそれはあまりにも弱々しい光なのだった。彼はいまでも思い浮かべることがある。10年先まで照らし出した強烈にまばゆい光の中に立っていたあの日のあのときを。しかしいくら目を凝らしてみても彼の周りに漂っているのは自分の存在が溶け出してしまいそうな漆黒の闇ばかりであった。













09/ ガールズ



 雨に濡れた道ばたに落っこちてる一片の花びら。雨の滴がまだ残っている。その滴の中に自分や世界のすべてが映っているのが見える。そのような美しい世界には片足だけだとしても決して突っ込んではいけないらしい。そこから帰ってこれるかどうか誰にもわからないから。













10/ 鏡、鏡



 男は気がつくと道の真ん中にいた。右の方、遠くから波の音がした。海の近くなのだろうか。しかし海は見えない。道の左右ともに松林が一直線に延びているからだ。一直線に続く林道。その地面は枯れた松の葉で覆われていた。肌寒い風が、波の音がする右の方から吹き付けてくる。男は左手に体温を感じた。左を向いてみる。女がいた。男は女と手を繋いでいた。男は立ち止まって女を見つめることにした。それに気付いた女も立ち止まり男を見つめた。見つめあったふたりは、しばし遠くから聞こえる波の音と、風が揺らす松の葉の音に耳を澄ますのだった。それらは静けさであった。静寂であった。しばらくすると女は手をほどき前に歩き出した。男は立ち止まったままであった。後ろを振り返ってみる。長い枯れ葉の一本道があった。彼にはその道をここまで歩いてきた記憶がどうしてもないのだった。自分がどうやってここまで来たのか、皆目見当がつかなかった。


 前を向いてみると、女はもうだいぶ前の方へと歩いていた。松の枯れ葉をひとつ持っているのが見える。かすんで殆ど見えない先に突き当りがぼんやり見える。突き当りからは左右へと道がふたつに分かれている。女はその分かれ道の前で立ち止まり、男の方を一瞥した。男はいつまでも女の方を見ていた。いつまでもいつまでも女を見続けていた。男は無能であった。そうする以外なにもできなかったのである。













11/ たたえよたたえよ



 日が暮れてしばらくが過ぎた。大きな川がいくつかの川に分かれて、また別の川が大きな川に合流していて、その上にいくつも橋が架かっている。たくさんの川がありたくさんの橋があった。闇をたたえた川の流れに街燈やそれぞれの生活の灯がゆらゆらと照らされている。オレンジや黄色、そして緑の灯がゆっくりとした流れの中で、ぼんやりとその光を灯しているのが見えた。橋の上から、そんないくつもの灯火を彼はずっと見ていた。川の向こうの闇から小舟が小さい灯りとともにこちらのほうに進んでくる。その針路の軌跡で川面に反射したほのかな灯りにさざ波が立つのを見た。


 しばらくすると驟雨が来た。雨つぶが大きな川を覆う闇を満遍なく打った。ゆらめく水面の灯りは、かすかな光をたたえたまま無数のしずくになった。アスファルトが濡れたにおいがする。彼も、中州にある公園の大きな木の下に雨宿りをした。そこからどこまでも微細な雨に打たれる川の闇が見えた。彼は待っていた。雨があがるのをいつまでもそこで待ち続けていた。いまなら彼にもはっきりとわかった。帰る場所なんてどこにもないんだって。自分を受け止めてくれる人なんてどこにもいないんだって。


















This Side of COLONY (in Silence)

2011


Mumu Funaki 絵画・編集
Teshin Yun 写真・文章





original:

麓健一 『コロニー』
FUMOTO Kenichi "COLONY"

2011, kiti

cover artwork by Mumu Funaki
cover photo by Teshin Yun





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